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ひとつの道 ①

last update Huling Na-update: 2025-08-31 22:58:01

 エレナは矢筒に手を戻しながら、目を細めた。

──倒した。

 氷が軋む。

 だが、執行者の身体はそのまま凍結され、動く気配はない。

 確かに動きは止まった──

 リノアとリュカは無事だろうか。

 そう思い、エレナが振り向く。

 焚火の光に照らされたリノアはまだ眠りの中にあり、胸がわずかに上下している。その安らかな寝顔にエレナは少しだけ頬を緩ませた。

──あれっ、リュカは……

 リュカの姿がどこにも見当たらない。

 しかし、気配は感じる。

 今、この沈黙の中にいるのは、夢の中のリノアと、氷に囚われた執行者──そして、気配だけを残すリュカ。

 風が止み、森が息を潜める。

 リュカは、つい先ほどまで敵だった。あの執行者と同じ側にいた人間だ。幾らか緩和したとは言っても、ゾディア・ノヴァの教えが完全に無くなったわけではない。

 まさか……

 疑念が胸をよぎる。先ほどまでのリュカの姿は演技だったのか。

 エレナは弓を握り直し、前を見据えた。

 焚火の向こうに揺れる影──

 指先が冷え、心臓が一拍遅れて脈打った。

 リュカだ。

 だが、リュカは闇の向こうの存在を見ていない。その視線が捉えていたのは、エレナだった。

 リュカの瞳に冷徹さが戻っている。感情のない、命令を遂行する者の目──

「……終わったと思ったのか?」

 リュカは剣に手をかけ、ゆっくりと構えを取った。

 その声は低く、冷たい。まるで執行者の声が乗り移ったかのようだ。

 焚火の光が刃に揺れ、沈黙が鋭く裂かれる。

 その動きにエレナは息を呑んだ。

 目の前にいるのは、先ほどまでのリュカではない。意志を抜かれた操り人形のようだった。

 リュカは微動だにしない。

 その沈黙は刃よりも鋭い。

 焚火の炎が揺らめく中、エレナは息をすることさえ忘れ、リュカを見続けた。

 エレナがリュカの動きを注視していた時──氷の中の執行者が笑った。

 その瞬間──

 エレナの背後から何かがエレナの背中に襲い掛かった。

 それはリュカでもなく、執行者でもない。名もなき闇。

 エレナが振り返るより早く、黒い霧のような腕が喉元を狙って伸びる。

──しまった。避けられない……

「伏せろ!」

 リュカが剣を振るって闇の腕を弾き飛ばす。

 火花が散り、空気が震える。焚火の光が一瞬、逆巻くように揺れた。

「油断するな、あれこそが術者だ」

 リュカの目は変わ
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